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237. 私を慰めてくれたアップルパイ

 



20220627

「誰かがやっているから」じゃない。最終的に自分で判断しろ。

このことを強く思ったエピソード。ムカつくヤツ!


地図も持っていない私は何度か道を見失っている。

そのときもよくわからなかった。
私と同じようにここは迷子になる人が続々といた。

カミーノで歩いていると、同じくらいのペースで歩く人もいてその人たちとは次第に顔なじみになる。
アルベルゲ(巡礼宿)が違っていても、同じ街に宿泊すれば荷物を置いて散歩したり、バルにいったりすると「あ、あの人だ」と見かけるのさ。

あれはどこの姉弟だったのか。
10代くらいの姉弟で、弟は背も高く顔もカッコよく、自分でもそれをよく知っているようだった。
何回か、他の若い巡礼の女性に声をかけられているのを見た。


その彼が、他に人がいなくて私に「この道で合っているのか(正しいのか)」と聞いていた。

私は自信がなかった。
しかし、「私はこっちに行く!」と決めたのだ。
間違っていたら戻るのだ、と覚悟を決めて歩いていたのだ。

なので「はっきりしないけど、私はこの道が正しいと思っている」と答えた。

姉と弟は私を追い抜いて先に行った。

西洋の人たちは背が高くて体力があって、歩くのが早かった。
重い荷物に慣れず、言葉もわからずよろよろと歩いている私は何人もの人に抜かされる。
10代、20代の人たちからは「1日にそれだけしか歩けないのか」とばかにされたこともあった。

そのことを話すと大概は「巡礼というのはね、速さが問題ではない」と言い出すのはもっと年齢の上の人たちだった。
私もそこそこいい歳だったのに、「上の年齢の人」と同じグループに分けられるのはとてもイヤで、次第にその話題について話さなくなった。


しばらくすると、その姉弟が戻ってきた。そして言ったのだ。

「この道は違うじゃないか!うそつき!」

怒りながら言っていた。

そんなこと言われたって。と私は思った。

「他の人がしているから」、「みんながしてるから」じゃなくて、まずは自分でそのことについて考え、判断しなさい、というのはカミーノで教えられたことだし、一応「よくわからないけど」と前置きしたじゃん!!


私は怒りと疲れと寂しさとでへとへとになりながら、その日に決めていた街のアルベルゲで手続きをした。

おそらくインターネットマシーンでメールを確認していたから、私は別件で心を乱されていたのかもしれない。安易に想像がつく。

アルベルゲのホスピタレイロの老婆もちょっと意地悪な感じで、私は逃げるようにアルベルゲを出て、バルに駆け込んだ。

そこで注文したのが「ケーキと紅茶」だった。
なんのケーキかわからなかったが、出てきたのがこのアップルパイに似たものだった。

もともとアップルパイは好きで、思いもかけないところでアップルパイに出会った。
味や食感は自分の好みだった。

日差しがなくて、うら寂しいひとけのない街で、ほっとしたひと時だった。


















今でもあの弟のことを思い出すとムカつく。

そして、思う。
もし私が誰かに聞いて、その答えが間違っていたとしても「誰かに聞こう。この人に聞こう。その人が言ったことをもう一度自分で咀嚼し、改めて自分で判断し、そこまでやって違っていたとしても、自分の責任であることを肝に銘じておこう」。
これは今でも続いている。

だから判断を安易にこっちに任せて「ねぇ、決めて~!」と言われるのはすっごく苦手だ。
自分で決めろ!
判断するっとエネルギーも覚悟もいろいろ使うんだぞ!
自分の食べたいものくらい、自分でわかる努力をしろ。

判断材料を提供するのは、別にいいけど。


硬そうなプリンでしょ。
硬いよ。レトロプリン。好き!