・「よく歩くね」と私に言った男性がいたでしょう?あの人がなにやら運命を感じ、私を天使かと思った、とかなんとかいろいろあって、カミーノが終わってから友達と彼のところを訪ね、そこから日本に帰国。翌年も訪ねていったが、国境を越えられず(国際恋愛、遠距離恋愛、めっちゃ大変!)2年弱のおつきあいで終わる。スイス人。
・つきあっていると自信が持てず、一緒にいることで自分がきらめくことができず、いつも不満と怒りと不安でいっぱいだった、おそらくボーイフレンドと、私はひとりカミーノを歩きながら英語のメールでバトル。覚えてる?あのネット環境を。約束していないのに、最後、サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂広場で出会い、さよならを言う。と、ドラマみたいな展開。オーストラリア人。
・が、このバトルは帰国後も延々と続き、私はレイシスト(差別する人。なかなかひどい表現だと英語に詳しい人にも言われた)と言われる。激怒!1日4時間かけて英語のメールを書いたこともあった。ほんと、この経験は私に悪影響ばかり与えるし、この愚痴をぶちまけたい思いはまだある。
・なのでカミーノの最後は全然楽しめなかったし、くたびれきった。もう歩きたくないと思った。
・ブルゴスを出て、2人の日本人女性と出会い、レオンまでの「死のパート」を歩いた。日陰のない17kmの道も楽しく歩けた。ありがとう!
・結局、カミーノで日本人とは5〜6人出会ったかな。
・言葉が通じないの、つらい。
・帰国したら目にするもの全て、意味がわかって混乱した。
・車が左側通行していて慣れなかった。
・標識に「○○まで□□km」と書いてあるのを見ると、徒歩1日20〜25kmペースで計算し、「んー、2〜3日だな」としばらく言っていた。
・サンティアゴ・デ・コンポステーラ到着後、途中で出会った日本人女性のうちの1人と奇跡的に再会し、一緒にバスでフィニステラという町に行った。大西洋に面していて、町の名前の通り「この世の果て」だった。
・2人の日本人女性とスイス人とちょっとしたグループで歩き、そのあと数日スイス人と歩き、私はまた1人で歩いた。カミーノはひとりで歩くことを私はおすすめする。人によるけど、ね。グループならば落ち合う町やアルベルゲを決めてそこまではひとりで、自分のペースでおしゃべりせずに歩くのがいい。私はそうだった。
こんなもんかしら。
またなにか思い出したら、書くね!
Kyrie
全然、箇条書きじゃないぢゃん!!!
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