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006. 呑気に2回目の機内食を食べていたが、そのあと次の飛行機に乗り遅れるという緊急事態に陥った

2020/03/13




2回目の機内食もテーブルクロスが敷かれ、お皿や金属のカトラリーで食事がサーヴされた。

ちなみに夜食で小さいハーゲンダッツのアイスバーも食べ(バニラアイスチョココーティングアーモンドクラッシュまぶし)、席の背面を倒すと足元のふかふかボードもせり上がり、ほぼ水平に横になることができた。

途中、ちょっぴり不安が強くなって泣いてしまい、隣のお兄さんに慰められたのは内緒だ。


そんなこんなで、快適に空の旅を楽しみ、パリの国際空港から国内空港へ行くバス停までお兄さんに送ってもらった。

しかし、夕方の交通渋滞のため、バスは遅れに遅れ、私が空港に到着したのは、乗るはずだった飛行機の出発時間の5分前だった。

到底、乗ることができず、ただただ血の気が引いていった。


私はまず、ベンチに腰かけ、少し落ち着いてみることにした。

そして、次に何をやったらいいか、自分が持っているものすべてを使って探すことにした。
どこに進めばいいのか、飛行機に乗れるのか、別料金がかかるのか、今日の宿に泊まれるのか、こんな不安な状況のところをつけ込まれて危険な目に遭うんじゃないか。

いろんなことがぐるぐる回る。


とりあえず、受付に行き、バスが遅れて飛行機に乗れなかったことを話した。
受付の女性は、私のことを気の毒そうに見ながら、英語で対応してくれたが、フランス語なまりのつよい英語で、英語が下手な私には理解するのに骨が折れた。

なにがどうなっているのかよくわからないが、別料金は要らず、次の飛行機に乗ることができるらしい。

待合所で大きなザックを抱えて座っていたが、なかなか次の飛行機は来ない。
不安になって、あたりをきょろきょろ見回すがなんの意味もない。

周りのことばは理解できない。


雑音がひどい中、英語のアナウンスを私の旅の時に開く「生き延びるチャクラ」のおかげか、悪天候のため飛行機の到着が遅れていることをなんとなく知る。

私はくたびれ果てて、待合のベンチで寝てしまった。


ようやく飛行機が1時間以上遅れで到着した。
次のフライトの準備にも時間がかかり、また悪天候のためすぐに出発もできなかった。

もし、自分が乗るはずだった飛行機が1時間遅れていたら、私は間に合っていたのに!
とイラついていた

飛んで機体が安定するとすぐに機内食が出た。
ぱさぱさしたパンが印象に残っている。

さっきまで夢のような機内だったので、なんだか落ち込み方も激しい。

座席は狭いし(それでも私は小柄な東洋人なんだけど)、さきほどのベンチで寝てしまったせいか消灯になっても寝つけない。

それに悪天候は本当で、ときおり機体が大きくガタガタと揺れた。


うつらうつらしたのかどうなのか、本当に気分がよくないまま、私はボルドーに近い空港に着いた。

空港は人気がなく、ガランとしていた。

時間も夜の10時を過ぎていた。

私が乗ろうと思っていた電車の最終はとっくに出ていた。
どうしたらいいのかと係の人に聞くとタクシーしかない、と言われた。



夜のひとりタクシー。
異国の地ではなおさら怖い。

それでもそれしか手段がないのならば、しかたない。

私は1台のタクシーに乗り込んだ。
ホテルの住所を書いた紙をドライバーに見せた。

行けるらしい。

私はザックを抱えたまま後部座席に緊張したままずっと座っていた。
しゃべろうにも、お互いにフランス語と英語が理解できなかった。

日本円で8,000円くらい支払った。

最初から痛い出費だな、と思った。



ホテルには夜の11時過ぎに到着した。
フロントの男性は連絡もなく遅い到着の私に不機嫌な様子を隠さずにいた。

部屋に案内され、ドアに鍵をかけると私はベッドに横になった。
長い1日だ。
日本を出てたった1日でこんなんで、私やっていけるのだろうか?


とにかく、翌日は巡礼の出発地のサンジャン・ピエ・ド・ポーを目指す。

なんだかホッとしたくてテレビをつけた。
意味はわからなくても音や声が聞きたかった。

シャワーを浴びて、荷物の整理をし、ベッドにもぐりこんだが、結構寝たせいか、興奮状態が冷めないのか、まったくもって寝つけなかった。
時差ボケもあるしね。